2017年5月2日火曜日

安倍政権が参照する「憲法」は、自民党憲法草案?

 日本は言うまでもなく法治国家である。民主主義、立憲主義国、平和主義の国家である。建国の精神と統治権力のあり方は日本国憲法に書き連ねられている。国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員はもちろん、象徴たる天皇ですら憲法を遵守する義務がある。立法府である国会は憲法の枠の中で法律を制定しなくてはならない。内閣や行政府は憲法の枠の中で政策を決定しなければならないし、天皇も憲法の枠内で発言しなければならない。つまり、天皇、国会議員、官僚(役人)には、常に現行の日本国憲法を参照しながら振る舞う義務がある。ところが、近年の安倍政権の振る舞いはどういうことか。現行の日本国憲法の枠内から逸脱した振る舞いを続けている。

 代表的なものは、日本の集団的自衛権の行使容認についてであろう。2014年7月1日に閣議決定され、翌2015年には新安保法制案が審議された。同年6月4日に開かれた衆院憲法審査会において、自民党推薦を含めた憲法学者3名は、集団的自衛権の行使とそれを前提とする安保法制案は違憲であると述べた。にもかかわらず、安倍政権は閣議決定を撤回することなく、安保法制案を通して現在に至る。

 最近では2017年3月31日の安倍内閣の閣議決定が話題である。それは教育勅語の扱いについて「憲法や教育基本法等に反しないような形で教材として用いることまでは否定されることうではない」との答弁書を出したことだ。教育勅語は1890年の発布から敗戦に至るまで帝国教育の根幹をなしていたが、戦後教育からは1948年に国会決議を経て排除されている。その内容は、天皇から臣民への価値感についての事実上の指令である。学校教育で歴史的資料として活用するのは問題ないが、道徳的に価値を認めての使用などあり得ない。その理由は、あらゆる部分で現行の日本国憲法と衝突するからだ。多様な価値感を持つ人々が共存していこうとする立憲主義とは相容れないし、精神の自由も保障しない。何より日本国憲法の3要素の1つである国民主権と相容れない。

 これらの他にも多くの憲法の枠から逸脱した安倍政権の発言や振る舞いがあるのはさて措くとして、彼らが何らかの政治的な振る舞いをする際に参照しているのは、日本国憲法ではなく「自民党憲法草案」ではないかと私は思っている。それも思想とか情念のレベルではなく、実際に参照しているのではないか。

 先述の集団的自衛権の行使については『自民党憲法草案Q&A増補版』で「…(個別的・集団的問わず)自衛権の行使には、何らの制約もないように規定しました。」(P.10)と解説している。教育勅語を用いることに関しては直接の言及はない。しかし、自民党憲法草案の12条で国民の責務をうたいあげていること、同24条で家族は助け合えと指令していること、各条項で「公共の福祉」を「公益及び公の秩序」と変更して人権より公益や秩序を重んじていることを参照すれば、教育勅語を道徳教材として用いることにも抵抗はないだろう。

 安倍政権がやっているのは日本国憲法の「恣意的な運用」ではない。「解釈改憲」でもない。そもそも参照している憲法が「自民党憲法草案」なのだ。 参照元が違うのだから、自分たちが行なっている政策・法案が、現行の日本国憲法に対して違憲であることは百も承知なのだ。だからこそ、彼らは国会で議論しようとせず、はぐらかし、時間稼ぎをしているのだ。

 私は、日本国民共同体はすでに安倍政権に敗北したと考えている。2013年12月6日の特定秘密保護法案成立で死亡フラグが立った。2014年12月14日衆院選は、特定秘密保護法を廃止し、さらに集団的自衛権行使容認の閣議決定(同年7月1日)を覆すことのできる最後のチャンスだった。結果として、私たち国民は安倍政権を追認したことになり、同時に完全敗北が確定したのだと思う。

 残念だが、この流れはもう止められないと思う。だが、絶望はしない。子孫に対しての責任は果たすつもりだ。できる限り抵抗する。そして必ず生き延びて、何があったのか、どうしてこうなったのかを後世に伝えるつもりだ。

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