2017年6月15日木曜日

しあはせの手紙「この世界の片隅に」より

此れは不幸の手紙ではありません
 
 だってほら真冬と云ふのに
 なまあたたかい風が吹いてゐる
 時をり海の匂ひも運んでくる
 道では何かの破片がきらきら笑ふ

 貴方の背を撫づる太陽のてのひら
 貴方を抱く海苔の宵闇
 留まっては翔び去る正義
 どこにでも宿る愛

 そしていつでも用意さるる貴方の居場所


ごめんなさい
いま此れを讀んだ貴方は死にます


 すずめのおしゃべりを聞きそびれ
 たんぽぽの綿毛を浴びそびれ
 雲間のつくる日だまりに入りそびれ
 隣に眠る人の夢の中すら知りそびれ
 家の前の道すらすべては踏みそびれ

 ものすごい速さで
 次々に記憶となってゆくきらめく日々を
 貴方はどうすることもできないで

 少しづつ 少しづつ 小さくなり
 だんだんに動かなくなり
 歯は欠け 目はうすく 耳は遠く
 なのに其れをしあはせだと微笑まれ乍ら

 皆が云ふのだからさうなのかもしれない
 或ひは單にヒト亊だからかも知れないな


貴方などこの世界のほんの切れっ端に過ぎないのだから

 しかもその貴方すら
 懐かしい切れ切れの誰かや何かの
 寄せ集めに過ぎないのだから

 どこにでも宿る愛
 変はりゆくこの世界
 あちこちに宿る切れ切れのわたしの愛
 ほらご覧 いま其れも貴方の一部になる

例えばこんな風に

 今わたしに出来るのはこのくらゐだ
 もうこんな時
 爪を立てて誰の背中も掻いてやれないが
 時々はかうして思ひ出しておくれ



こうの史代『この世界の片隅に(下)』双葉社 2009年
4月最終回 「しあはせの手紙」p.141~152 より

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