2017年9月15日金曜日

『日本一醜い親への手紙 そんな親なら捨てちゃえば?』が出版されます。

これまでこのブログや私のツイッターでお伝えしていた「新編 日本一醜い親への手紙(仮)」 の正式タイトルが決定したと、編者の今一生さんが伝えています。その名も

『日本一醜い親への手紙 そんな親なら捨てちゃえば?』 
(Create Media編/dZERO刊/1800円+消費税)
http://con-isshow.blogspot.jp/2017/09/letters-title.html

インパクトのあるサブタイトルが付きましたね。まあ当事者の手紙を読んだ人からすればその通りなんでしょう。詳細はリンク先の今一生さんのブログを参照してください。まだ120万ほど資金不足らしいので、先行購入されたい方、寄付されたい方はこちらから。

先払い購入
http://letters-to-parents.blogspot.jp/2017/02/blog-post_1.html

寄付
http://letters-to-parents.blogspot.jp/2017/02/blog-post_14.html

前回の「日本一醜い親への手紙」の出版は20年前でした。時代は経過して手紙の様相もいくらか変わったようです。

> ① これまで語られてこなかった経済的虐待や文化的虐待が描かれた。また、厚労省調査による虐待のタイプでは1%とされる性的虐待が頻繁に報告された。さらに、「きょうだい児」「場面緘黙症」などの当事者からの手紙も収録されている。

「経済的虐待」「文化的虐待」は、従来の類型ではそれぞれ「ネグレクト」「心理的虐待」にカテゴライズされると思います。しかし、虐待のより深い社会的認知のためには、厚労省が掲げている4類型よりも詳細な類型化が必要ではないかと思います。さらに「きょうだい児」「場面緘黙症」などの当事者からの手紙もあり、やはり従来の類型では虐待の社会的認知を広めるのに不十分と認めざるを得ません。

このブログで再三に渡って書いている通り、児相の虐待相談件数が爆発的に上がったことは大きな成果です。しかし、それを把握しているにもかかわらず、行政の対応は追いついていません。行政を変えるのは議会、議会を変えるのは主権者である私たち市民です。

今この日本では、年間84人、実に4日に1人の割合で、子供が虐待によって殺されています。この悲惨な現状を改善するためにも、私たちは虐待についてより深く知らなければなりません。そのためには、被虐待当事者の主観的事実がどのようなものかを知ることができるこの本は、うってつけだと思います。

ちなみに拙稿も掲載されるとのことです。つまり、私も手紙を書いた当事者の1人です。
このブログネーム「灰ねこ」名義で載ると思います。まあ読んでみてください。感想等ございましたら、ツイッターアカウント @haironeko にリプライかメッセでもくださいな。

2 件のコメント:

  1. 日本は何百年も昔から、子供を大切に為てこなかった歴史があります。
    先進国が子供の人権を訴え、児童虐待撲滅に尽力する中
    やっと潜在的にあった虐待問題が表面化し、1歩前進と言ったところです。
    知ったかぶりで「子供の虐待が増加した」と言う人が居ますが
    私の時代、子供を殴る蹴るといった「躾」という名の虐待が
    いくつもありました。私もその当事者であり、隣家からも子供が折檻されて
    泣き叫ぶ声が聞こえてきたものです。
    その時代、経済だけは成長しましたが、子供の人権について
    日本は先進国に遅れに遅れていますね。
    「兄弟児」「介護児」の問題も、これから社会問題になっていくと思います。
    かくいう私は、子供がいない独身女性(養母)の老後介護の為に
    養母の兄が「この子にお前の面倒をみさせよう」と連れられて来た子です。
    ですから何かにつけて「養育の恩」を押しつけてきましたね。
    子供は無条件に愛される権利を持っています。
    その権利を踏みにじった養母を捨てました。
    一人浴槽の中でなくなっていたそうです。
    無条件の愛を注がなかった親の末路は哀れですね。
    (sawa@対基地大好き)

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    1. そうですね。相談件数の増加は社会的認知による捕捉率の上昇、つまり顕在化です。児童虐待は昔からあって、啓発により捕捉しやすくなっただけだと思います。それ自体は評価できても、本来の目的である肝腎の「児童虐待の防止」がなされているか。私はほとんど前進していないと思います。それは多くの人に「虐待とはどういうことか」が深く理解されていないことにあります。

      虐待の問題は、遡れば子どもの権利すなわち人権問題です。幸福を追求することに誰の許可も必要ありません。みんな幸せになっていいのです。同時に、相手に幸福感を与えることができない者は、他者と親密な関係性を形成することはできません。親密な関係を築けない者は一生孤立して生きざるを得ないでしょう。

      私の母も、私の知らないうちに死んでいました。哀れだと思いましたが、涙は一滴も出ませんでした。私は家族の死で一度も泣いたことがありません。家族の死が悲しいと思ったことはありません。痛くも痒くもない話です。今でも二度と会いたくありません。

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